よもやま話

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◆天武天皇の時代から…

近江牛よもやま話「天武天皇の時代から」

太古の原住民族の原始生活から天武天皇の大和京時代(7世紀)に肉を食したと伝えられています。 世は下って、戦国時代、天文年間(16世紀)に渡来したポルトガル人のキリスト教宣教師が特権として牛肉を食したといわれ、当時は牛肉を「わか」と言ったそうです。

◆関白秀吉も食した牛肉

近江牛よもやま話「関白秀吉も食した牛肉」
天正十八年(1580年)豊臣秀吉の小田原攻めの当時、蒲生氏郷・細川忠興・徳川家康等が高山右近から牛肉を馳走になったという。 右近は滋賀県甲賀郡出身で、近江に早くから肉食の風が普及されていたのでしょう。 滋賀県の畜牛は由来すこぶる古く、日本牛史に寄りますと、伊香郡木の本村の牛馬市はその創設300年余も前だそうです。 日本の最古の屠牛は近江の高宮だと伝えられ、欽明天皇の13年(西暦552年)仏教渡来と共に肉食を禁じられたとはいえ、この牛肉だけは養生食として、彦根藩から将軍家へ献上のために、その屠牛が行われたのです。

◆大石良雄の陣中見舞い

近江牛よもやま話「大石良雄の陣中見舞い」
近江牛味噌漬近江牛は今日黒毛和牛ですが、昔は朝鮮系の黄牛で、朝鮮牛が相当、近江へ移入されていたと考えられます。これが近江の黄牛の味噌漬であり、皮付で漬け込んだと言います。 一般にも賞味されていたと見られ、赤穂の城代家老大石内内蔵助が元禄快挙以前、堀部弥兵衛金丸に味噌漬を養生品として贈っています。

◆東海道、牛をひいて東京へ

近江牛肉よもやま話「東海道、牛をひいて東京へ」
近江牛が東京で販売されたのは、明治4~5年頃、近江蒲生郡苗村の人、故竹中久次郎氏によって初めて紹介されてからで、氏は当時5~6頭の牛をテクテクと東海道を歩いて東京に運んだということです。明治16年頃には浅草芧町に牛肉問屋を開き屋号「米久」として牛鍋屋を兼ねて営み好評を得ました。 近江牛のすき焼きをもって終始一貫し「東京のすき焼きと言えば銀座の松喜」とまで謳われた松喜こそ真のすき焼きの元祖と言えましょう。

◆ドイツ人も舌をまいた…

近江牛肉よもやま話「ドイツ人も舌をまいた」
飛行船ツエッペリング号1929年、世界一周をつくった飛行船ツエッペリング号が飛来した折に、その乗員が近江牛肉の味に舌をまいたというエピソードがのこされています。 我が国の牛肉がその品質の優秀さと美味の点において、名実共に世界一のレッテルを付されて、世界の観光客の舌を喜ばせている事実は、既に広く認められています。ところが日本の牛肉がどうした事か「神戸牛」「松坂肉」の名称をもって宣伝されていますが、その肉、その元祖は近江牛にあることも亦よく知られているのです。