かど萬の歴史

HISTORY

かど萬の歴史

かど萬の志す味わいもまた、長い歴史に培われた近江牛の味の精華を、心ゆくまで味わって頂くことです。 そのためには、自ら牧場に足を運び厳選、吟味して、皆様に喜んで頂ける近江牛を販売しております。 今一度本当の近江牛を食して頂ければ嬉しい限りです。

◆対馬暖流がカギ!?

近江牛の歴史「対馬海流から始まる」
近江牛 極上ロースステーキ百済よりヨーロッパ種と在来種をかけ合わした改良種の食肉牛が、輸入されるようになり、例によって百済より仔牛が奈良(平安京)へと船積みされ、越前の敦賀を目指し出港、そこでいつも通り対馬暖流に乗り、日本海を東進するのであるが、その年によって対馬海流の強弱に左右され、日本列島への寄港地海岸も定まらず、たまたまその年は対馬暖流がよわかったために、敦賀より西方に位置する但馬海岸に漂着、当時は珍しくなかったと聞く。 幸いにも対馬の人たちの暑い人情に触れて、乗員達は仔牛の飼育を懇願してきた。 その事件を契機に、但馬地方での肉牛の飼育が始まったと言われている。

但馬の人たちの努力と探究心によって、日本人好みの食肉牛を提供するまでになってきた。但馬の関係者たちは、種族保存に勤め、牛の素牛(仔牛)を出荷しました。 兵庫県の北部と中部、京都の丹波、滋賀の近江(湖東地方)が主で、神戸牛、丹波牛、近江牛のネーミングで高級和牛肉として今日まで来たわけです。

もちろん各地で独特な飼育をおこなっていくわけですが、但馬牛の仔牛を、近江の人たちの努力と研究心により、数千年の時を経て、日本人好みの霜降り牛を提供するまでになってきたわけです。昨今、世界の畜産業界でも、特異な肉質牛として、その存在感を高く評価されています。

◆肉食が復活したのは戦国時代

近江牛の歴史「肉食が復活したのは戦国時代」
高山右近仏教伝来とともに禁止されてきた肉食が復活したのは戦国時代。 秀吉の小田原城攻めの時、豊臣秀吉・徳川家康・細川忠興らは高山右近に度々肉をご馳走になったという史実が残っている。 高山右近は近江の国甲賀郡の出身で、近江には早くから肉食の習慣があったことがうかがえる。

◆肉食の禁止

近江牛の歴史「肉食の禁止しかし・・・」
近江牛味噌漬牛肉にとって残念だったのは、肉食がポルトガル人宣教師によって広められたため、キリスト教とともに禁止されてしまったことだ。 だが、例外はあった。彦根藩井伊家から将軍家や徳川御三家へ、養生品として家のついたままの牛肉を味噌に漬け込んだものが献上されていた事などがある。 また、赤穂の大石内蔵助が堀部弥兵衛金丸に養生品として贈っていることから一般にも売られていたことがわかる。 禁止はしていたものの、肉食の風習を見て見ぬふりをしていたようだ。

◆松坂牛の名称由来

近江牛の歴史「松坂牛の名称由来」
近江牛 すき焼き極上ロース松坂牛の名称由来。 時代は明治初期、近江牛は四日市港から船積みされていた。当時の四日市は、東国からの伊勢街道筋にあり、蛤料理がとくに有名で、多くのお伊勢参りの人たちの休憩の場にもなっていた。 そこで松坂の知恵者が、蛤料理店の繁盛ぶりに目をつけ、永源寺超えで伊勢街道筋に東国からのお伊勢参りの人たち相手に、当時日本人の間で流行のすき焼き屋を開店。それがズバリ大当たり。 素牛である近江牛の肉質の良さが、参拝客の間で大評判となり、益々店は繁盛して、松坂牛の名は広く東国まで知れ渡っていったという。